気位

自分は言葉表現として、息と呼吸を区別するし、体と身体も区別する。他の言葉に対しても、似た様な区別をしている。

そして、なるべく息や体を使う。呼吸や身体を使うと学問に寄せる事になるのだが、手技療法を学問的に語るのは無理だと考えているからだ。少なくとも、自分の能力では無理だし、世間の需要もそこにはないと見ている。格好の付け方には種類があるよ、というか。

妙な屁理屈なんだけど、畳を使う事にエビデンスがあるだろうか?文化と生活習慣で使うだけである。良くも悪くも、手技の社会的な基盤はそのくらいのものだ。

だから、人気がないのが一番ダメね。わざわざそれを使うだけの魅力が要る。また、長く続ける為には、その中で気位を保つ必要もある。例えば、回数券を売りつけるなど論外だし、ビラを撒いたりもしない。具体的にすると、結構、しょうもない話になるけれど、基本的な構えがある。

ところで、最近は畳の部屋が少ないけれど、畳の人気を復活させる為には、柔らかく作る必要があるに違いない。昔の畳は手編みだから、フワフワに柔らかかったそうなのだ。永井義男の『剣術修行の旅日記: 佐賀藩・葉隠武士の「諸国廻歴日録」を読む』でそれを知って、道理で正座が辛い訳だと納得した。多分、今の畳は固過ぎるのだ。

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