弓と禅

剣術の練習をしていたら、上段の構えの惡癖に気がついた。柄の位置が高いせいで、肩が上がっている。薙刀が不味いのもこれが原因かと腑に落ちたので、持ち手の位置を低くしたら具合が良い。

前提条件を整えないで、小手先の工夫をしても上手くいかない。肩が上がった状態で力を抜いたつもりになっても上手くいくはずもないではないか。

この種の身体訓練の原体験は学生時代の弓道だ。弓道が良いのは対人ではないので、自分の身体の操作に集中出来るところだ。

弓道の内面世界についてはオイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』が有名だが、的に中て様とすると力んでかえって的を外すという現象がある。的に中てる事はアウフヘーベンして、自分の身体操作に集中するのだ。すると、上手くいく。

針小棒大に言うなら、現実をコントロールする為にどの様にアプローチしたら良いのかを教えてくれたのが弓だ。過程を丁寧に積み重ねると、結果は後からついて来る。対象そのものではなくて自分をコントロールする。ほとんど信仰に近い。

熱心にやっていた弓道なので、あっさり止めた事を周りは訝しんだが、舞台を移しただけで、今でもまったく同じ事を続けているつもりでいる。

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