姿勢が身につくといえば、同業者には気がつきやすい。
もう10年くらい前だろうか。50代くらいに見える女性が玄関を開けて入って来るなりそうかと思って、ご同業の方ですか?と声を掛けた。
それですっかり構えさせてしまったのか、違うと言う。まあ、これは自分の失敗だ。
しかし、施術中にも妙な気を飛ばして来るので、帰り際、靴を履いているタイミングで、それで何をやっているんですかと?と再び尋ねたら、鍼灸師だという答えが返って来た。
そのまま、本当は整体を勉強したかったのだが、お父様がそんな胡散くさいものは止めて資格を取れと言ったので、学校へ行ったという話を伺った。
いや、良いお父様ではないだろうか。自分が大学生の頃に整体を仕事にするつもりだと周囲に話したら、大学の卒論の指導教官も伯父も、まあ、宗教だと思うがガンバレと心温まる言葉を掛けてくれたものだ。これまた、開業当初の施術所はスラムみたいなアパートの一室だったので、ますます正しい。
なんだろうね。この年になって思うのだけど、例えば、鍼灸をやっていたら、それはそれで夢中になっただろうと思うのだ。それなりになっただろうという自信もある。実際、大学受験の際には、明治鍼灸大学への願書を取り寄せている。とにかく東京へ出たかったので、止めたけど。
何をするかよりもどうやるかだし、どうやるかよりも誰がやるかに本質はあって、道は違えども高みを目指す喜びはある。これをやっているという対象にこだわる必要はない。