昨日は新宿へパテックフィリップ展を見に行った。昔の品の方が針の質が良いとはよく耳にするのだが、確かにそうなのかもしれない。モッチリとしたボリュームが素晴らしい。
ぼんやり考えていたのだけど、もしも15歳に戻れたとしたら、英語とフランス語を覚えてスイスの時計学校に入学する。叶うなら、現地で就職して経験を積んだ後に、独立時計師を目指す。
整体は?という話なのだが、同じ事を繰り返してもつまらないじゃないか。
最近も時計の学校に通う事を検討してみた。時計の値上げが進んで100万越えも珍しくないのだが、自分の金銭感覚では物に出す金額ではない。一方で、学費なら良いという判断がある。酔狂過ぎるので流石にしないというか、本気なら既に申し込んでいるだろう。思い込むとやってしまう性質なので、少し自分が怖い。
そういえば、昨年は受験生が多かった。人生の分かれ道ではあるのだが、東西南北どちらの方向に進むのかは決まるだろうが、どの道を進む事になっても、結局、収斂進化というか、その人なりの人生を歩む事になるんじゃないのかなあ、とこの歳になって思わないでもない。対象に対するアプローチというか、不可避の脊髄反射的反応は変わらないからね。同じところが評価されて成功するだろうし、どうしても似た様な失敗を繰り返すでしょう。
ある程度の先進国で、家庭に特殊な問題がなくて、選択の自由が保証されている上での話だけど。