20年くらい前に、テレ東で観た深夜映画が印象的だ。
物語の舞台はニューヨーク。資産家の娘がいて、彼女はヒッピーだ。彼女が、父親にスピリチュアルの指導者を招く事をねだるところから物語は始まる。
一方、インドにはハリウッドスターを志しながら、農村で燻る俳優の青年がいる。
何の手違いか、その青年がヨーガのヨーギーとして、ニューヨークに招かれるのだが、ヒッピーの資産家の娘はチベットのラマが良かったのにと憤慨する。
娘に嫌われるとインドに送還されてしまうので、その俳優の青年はあの手この手で娘を籠絡する。すっかり心酔した娘は、青年を教祖にしようと社交界への売り込みを始める。
結局、青年はアメリカのセクシー女優と恋に落ちて、娘はフラれてしまうというのがオチ。なんというか、モンティパイソンから確実に品の良さだけを抜いた様な筋書きである。
ところで、もう10年以上前の話である。当時、60歳くらいの女性が訪ねて来た。何となく感じるものがあって、ご同業の方ですか?とお尋ねしたら、否定するお返事があった。
しかし、施術中も妙な気を飛ばして来るので、帰り際の靴を履いている時に、それで、お仕事は何をされていますか?とお尋ねしたところ、鍼灸師だと教えてくれた。
本当は整体をやりたかったけれど、そんな胡散臭いのは止めろとお父様に反対されたので、諦めたという事であった。実に真っ当なお父様ではなかろうか。自分が卒論の指導教官に進路を報告したら、宗教だと思うが頑張れと爽やかなエールが返って来たものである。
近頃、よく思うのだけど、どんな進路を選んでもその道なりに深めていく事は出来るし、誰と一緒にいてもそれなりに仲良くやれるのが大人ではないだろうか。自身、受験の際に明治鍼灸大の願書を取り寄せていたりするので、そちらに進んだとしてもそれなりに楽しかったはずだ。
また、本当にやりたかったのなら、誰に止められてもやったはずなので、親のせいにするのも筋が違う。人生の結果は自分で引き受けた方が悔いは残らないでしょう。それをやっていないとしたら、それはしない事を自ら選んだ結果ではないのか。