母親から電話があった。曰く、同僚に洗濯物から生乾きの臭いがして、評判の悪い男性がいる。お前は大丈夫か?という内容であった。一年ほど前にも、まったく同じ内容の電話があった事を覚えている。大丈夫なのか。
母親の事を悪し様に言うのも、マザコンの変奏ではないのか?という疑念はあれど、親からの文化的な資産を引き継いでいないというのはこういう事だろうかと、感慨深いのであった。お願いだから、もう少し高尚な事を言って欲しい。
例えば、「血が、汗が、涙がデザインできるか」とか。
昨夜、内覧会に出掛けて来た。妹さんから招待券を頂いたのだ。この2年ばかり、準備の内幕をずっと伺っていたので、感情移入している。どうしても内覧会のタイミングで観たかった。
石岡瑛子氏は東京芸術大学を卒業後に、資生堂に入社、面接では「もし私を採用していただけるとしたら、グラフィックデザイナーとして採用していただきたい。お茶を汲んだり、掃除をしたりするような役目としてではなく。それからお給料は、男性の大学卒の採用者と同じだけいただきたい。」と口上を述べたそうだ。
入社時のエピソードが象徴的だが、沢田研二のヌードやビョークのコクーン(乳房から出た赤い糸が足を縛るというPV)などの同氏が手がけた作品群を見ると、ジェンダーが創作の起爆剤になっている様に見える。そりゃ、見える。
同時に、これは完全に場外乱闘なのだが、妹さんを存じ上げているので、非常に「家」を感じた。妹さんもお父様もデザイナーの、デザイナー一家なのだ。
BMWに乗ってやって来て、カツカツと響くヒールの音、風にはためく黒のロングコート、煙草を玄関先でスパッーとやって、灰皿に残る吸殻には赤いルージュの跡。古希を越えて超現役のデザイナーである妹さんの印象というか、風景である。その姿が、会った事もないお姉さんの姿と重なって見えるのである。
かつてとびきり格好の良い女性がいた。そして、こういう人は一代では出て来ない。きっと田舎からも出て来ない。不景気からも出て来ない。文化のもの凄い集積の結果ではないのか。リアル世代ではないので想像するのみだが、ある世代から上にとっては、勢いのあった頃の東京の広告、デザインをどうしようもなく偲ばせる様な人物ではないのか。