与太話

2016年、サンフランシスコに出掛けた。空港に着いて2時間後には射撃場にいた。初渡米でまずやる事がそれなのかという話なのだが、スケジュールの都合である。

ガンインストラクターのタフ高橋さんに、ホテルまで迎えに来て頂いた。

型が決まっている。景気の良かった時代には、任侠団体がよく研修に訪れたそうである。

タランティーノ風のキツめの下ネタを飛ばして来るので、負けじと応じていたら、アンタおもしろいねとドライブに連れて行ってくれた。昔から同性で気が合うのは大人しい人かアウトローで、どちらも自分の鏡の様に感じる。

サンフランシスコ市内の日本人街に連れて行って貰ったのだが、要はビル一つである。比べると、翌日、セグウェイを借りて中華街に出掛けたのだが、こちらは正しく街一つである。悲しいかな、日本人は寄る辺なき民なのだ。

自分はリバータリアンの個人主義者扱いをされてしまう事もあるのだが、誤解だ。リバータリアンには老化や病気などの不可避のアクシデントを考慮しない弱点がある。人は一人では生きられない。それよりは、人間関係を安全保障に組み込む中国、東南アジア型の社会の方が洗練されて感じられる。

例えば、アメリカは訴訟社会だけど、それは歴史が浅い為で、時間をかけた合意形成がないから、そんな事になっているのではあるまいか。あちらではマスクをさせるにも罰則が要るけれど、本邦では同調圧力で済む。社会を維持する為のコストの支払い方の違いではあるまいか。

日本の場合、幕藩体制で250年も保つ様な国だから、藩の代わりに会社に忠義を尽くす終身雇用モデルは、民族性に合っていた様な気もする。むしろ、それ以外のモデルが未だ見つからないのが問題で、現状、新自由主義と西海岸の企業文化をカンフル剤にしているのだが、そんなの長続きするものかね。この先どうするのだろうか。

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