グランドセイコーのSBGW299を買うつもりで、宝石広場へ出掛けた。サイズが36.5㎝、ムーブメントに手巻きの9S系を積んだマニア心をくすぐる逸品である。
しかし、買わなかった。うっかりロレックスと並べて比べてしまった為だ。SBGW299には色気が足りない事に気がついてしまった。
ザラツ研磨は美しいのに、何故なのだろうか?そもそも、グランドセイコーの文字盤は自然をモチーフにしているので、西洋的な美とは異なるデザインコードである。同じ評価軸で判断するのも不適切なのかもしれないが、時計は色気が本質では?という問いがある。
このロレックスは2000年頃の製造なので、2023年製のグランドセイコーと比べて、考え込んでしまった。気持ち悪い喩えだが、生真面目な新卒が中年の色気に負けたというか。どうしてそんな事になるのだろうか。


グランドセイコーはデザインコードが厳密だ。そのせいで、遊びがないのだろう。規則性にこだわり過ぎて、色気を損なっているのかもしれない。近年では文字盤違いを量産して差異化を図っているけれど、それも規則性の反復になっている。神経症的だ。


1. 平面を主体として、平面と二次曲面からなるデザイン。三次曲面は原則として採り入れない。
2. ケース・ダイヤル・針のすべてにわたって極力平面部の面積を多くする。
3. 各面は原則として鏡面とし、その鏡面からは極力歪みをなくす。
じゃあ、統合失調的な破綻には色気があるのだろうか。ランゲ1をそう言って良いのか。

各ブランドのコンセプトは抽象的な理念として存在するはずなのだが、具体的な形として定義してしまうのが日本的だと感じる。このアプローチは注意しないと、本質主義がすぐに形式主義になってしまう。多分、ドイツメーカーのノモスも同じ課題を抱えている。日本とドイツの比較文化論は日本人の自意識過剰で、ドイツ人は否定的らしいけどね。


自分にとっては、時計の話題を通しての文化論だ。