帯津良一さんみたいなタイプには敵わない。著作を読むと、対象の良し悪しなど判断しないで、何でも入れる器の様な人だと感じるからだ。
そうした器の大きさは自分にはない。どちらかというと、潔癖で独善的だ。まあ、他人に興味がなさ過ぎるので、それ以前の話ではある。
だから、補完的に、業態としての器の大きさを考えた。それで、試行錯誤して今のスタイルになっている。
最近、教室についてのお問い合わせが多いのだが、どうしたものだろうか。コロナが5類に引き下げられたら、面倒も減るので前向きなのだが、コンセプトを練り直す必要を感じている。
施術はコンビニで良いのだが、教室は別のスタイルが良いと考え出しているのだ。同じ事をやってもつまらない。時計趣味からラグジュアリー業界に興味を持ち出しているので、そちらに寄せてみようか。
お茶室を借りて、着物でやるとかね。頻繁に開催する時間の余裕もないので、丁度良いかもしれない。可能な日程は祝日だろうか。
ただ、ラグジュアリーに寄せると舞台装置が必要になるので、腰は重い。いや、腕一つでどこでもやれますというのが、ご自慢なのである。それとは趣旨が違って来るからね。
いっそ住み込みで弟子を取るのはどうだろうか。でも、そもそも需要がないか、逆に思い詰めたヘビーな人が集まりそうで厳しいな。やぶ蛇かもしれない。