公共性

イスラーム学者の中田孝氏の記事を読んで、久しぶりに声を出して笑った。起承転結の流れが酷過ぎる。

記事の内容とは関係なしに、彼の活動のセンスはなんとなく分かる。例えば、金本位制に戻せなどと主張するのだが、現代に抵抗するなら、近代や前近代のロジックは食い合わせが悪くて、いっそのこと中世くらいの価値観を持って来た方がまだ抵抗の余地がある。土台が違い過ぎると議論にはならないし、議論になると負ける。大真面目にやって、それがギャグにしか見えないので、シュール極まる存在感だ。

自分の仕事に引きつけるなら、それはゾーンニングの問題であって、グローバリズムとインターネットで軒並み更地にされそうな勢いの中、ローカリズムを担保するにはそれくらいしか方法がない。

最近、似た様なラインで、佐藤優氏が同志社大学で行った講演の動画を見ていたら、これまたおもしろかった。講演の後、教授陣とのトークセッションの席で、教授だか助教授だかの一人が、科学者の倫理をテーマにした。

具体例として、原子爆弾の製造者責任を挙げて意見を求めたら、佐藤氏、科学者の個人的良心で研究が止まるなどと考えるのは自惚であって、開発した上でその是非を公共圏で議論しろと切って捨てるのだが、その言い様では教授の面子がないので、これは敵を作るだろうなあと思わせるものであった。一連の事件の顛末にも納得した。

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