昔、読んだ、とあるカイロプラクターの記事がすこぶるおもしろかった。
記事によると、執筆者がカイロプラクターの国際会合に参加した際、パーティの席で談笑していたら、ある男性が倒れた。脳梗塞だ。彼と眼を合わせたら、無言のうちにアジャストしてくれと伝えているのが分かった、と。その場でアジャストして、今でも彼は元気であるとの内容であった。
いや待て、本当にその男性はそんな事を伝えていたのだろうか。救急車呼んでくれじゃなくて?大笑いして、執筆者の事が大好きになってしまった。しかし、凄い信念ではないか。これくらいでないと、人は育たない。
その点、自分はダメだなあと、この数年、人に教える事については自信を無くしている。技術を教えるのは上手なつもりだ。だが、そうした信念を伝える事が出来ているだろうか。性格的に、最初から日寄ったジンテーゼを伝えてしまうのだ。これが良くない。教える人間は、極端なアンチテーゼを説くべきだ。例えば、ワクチン打つと死ぬとか。
教わる方は、ほっておいても常識に取り込まれてしまうのだから、そこにぶつけるのはアンチテーゼであるべきだ。学習者は、社会通念とアンチテーゼの相克で、自らの意志を立ち上げるべきであって、教える側が最初からこの辺りで妥協しておきましょうでは、信念もへったくれもない。それがないと、たとえ技術を学んだとしても役には立たないのだ。教える人間としては、小賢しいのは致命的な欠点だと自省している。一施術者としては、真っ当な社会適応だが。