ビリヤニ

小説的に考えると、性格描写として、彼は神経質だとそのまま書いたら小説にならない訳である。

その代わりに例えば、彼は毎朝、下着にまでアイロンを掛けてから出社すると書いたら、神経質さが伝わりやすいかもしれない。

抽象的な内容を具体的に描写する必要がある。例えば、自己啓発本の類は抽象的なテーマをそのまま抽象的に書くので、内容が薄っぺらくなりやすい。ディテールがないからだ。頭でっかちに書いているなと。

自分も反省した。ビリヤニ大澤についての記事を読んだら、そうこれ、これが書きたかったと膝を打ったのだ。

内容は、インドで食べたビリヤニに衝撃を受けて、ビリヤニ作りに人生を賭ける事になった青年についてのインタビュー記事だ。予約困難店らしいけれど、近々訪ねてみたい。

本人に能力があって活動が魅力的なら、人も金も勝手に集まる。ないなら、磨けというだけの話。

でも、そこで自分探しをすると迷路になる。例えば、難しい本を読んでも賢くならないし、ボランティアをしても人格が高尚になる訳ではない。むしろ、対象は外ではなくて内に求めるもので、君には人から止められたとしても、どうしてもやりたい事はないのか?と。

まあ、ないかもしれない。話が終わってしまった。いや、自分は人生相談をするのに向いた相手ではないんだよ。会話のピッチングをして終わるので。

しかし、ないならないなりに目の前の事をやったら良いよな。或いは、興味のある人を応援するとか。推し活ですよ。酔っ払って書いているのか?いや、素面だね。前からそんな事は考えていた。

ところで、この10年ほどで首都圏のインド料理は凄く旨くなった。ミールスも定着した。25年ほど前には食べ放題店が多かった様に記憶しているけれど、もしかしたら、しっかりとした料理人がまだ来日していなかったのかもしれない。

先日、ラジオでエリックサウスの代表が話しているのをたまたま聴いたけれど、初心者へのお薦め店の一つとして、カーン・ケバブ・ビリヤニを紹介していた。あそこは確かに旨いし、スパイスの使い方にはなんとなく上品な印象を受ける。

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