一端の趣味人ぶっているのだが、背伸びの産物である。今年は一本も時計を買っていない。昨年末に、3本まとめて買って、どうかしていたとしか思えないのだが、今は理性が憎い。
今年の休みは、ぼぼ時計屋に出掛けていた。小学生がポケモンの名前を覚えるみたいに時計の名前を覚えていった。そこで学んだのは、判断力と決断力は別物であるという事だ。
先日、伊勢丹に買うつもりで出掛けて、ああでもないこうでもないとやっていたら、店員さんが見兼ねて、みなさんスペックがどうとかおっしゃるんですけど、こういうのは一目惚れが全てです。腕に載せた時の印象ですよと言うので、ガツンと衝撃を受けた。
知識が増えると、物の良し悪しは判断がつく様になるはずだが、実際には選べていない。時計の欲しい物リストが増えているだけだ。問題になっているのは機会費用である。これを買ったら、他を買えないというのを気にしている。
つまり、決断力というのは資金と時間が根拠になるのではないだろうか。それがないとやり直しが利かないから、どうしても慎重になる。だから、若い人の方が思い切った行動を取れる場合が多いのだ。まだ判断力に乏しいので失敗もしやすいけれど、いくらでもやり直しが利く。また、年を取ってお金がないと、何にも決められなくなるという事も言える。
そして、判断力と決断力のバランスを取るのが欲望ではあるまいか。これがどうしても欲しいというのは、間違えながらも前に進む原動力というか、生きる力の表れそのものではあるまいか。バカになるくらい欲しい物は見つけられなかった。それが情けない。自分の生命力は弱っているなあと、反省した一年だった。