最近、気功の先生だと人に紹介される事が多い。ご紹介でお越しになる方がほとんどなので、通りが良ければ何でも良いな。イメージの広がる言葉があるのは助かる。
気功といえば、しばらく前に津村喬さんの訃報があった。十代の頃に彼の気功の本をよく読んだ。カタログ的に気功法を紹介している本があったので、真似事をしてみたものだ。そうした意味ではお世話になった。
そういえば、練功を続けると手から香りを感じるという香功には今でも軽い好奇心がある。料理研究家、左翼活動家としての著作は未だ読んだ事はなく、これから読む機会もないだろう。
当時、本屋の健康法の棚で目立っていたのは、津村さんと帯津良一さんだった。なぜか帯津さんの本を読んでもあまり響かなかったな。いや、対象年齢が違い過ぎるでしょうというのは前提なのだが、なんとなく津村さんの方が純粋に感じたのだ。若いと強いイデオロギーに惹かれやすいからだろうか。
今の視点から言語化してみると、帯津さんは何でも入る袋の様な人で、価値判断が意外とないんじゃないのかという気がする。そして、本人のお人柄は存じ上げないので、そうだと決めつけての話だが、そういうタイプの人には敵わないなあという思いもある。