レアケース

最近の癌検診で、癌の消失が確認された方がいた。一昨年にサイズが二分の一になり、昨年は二分の一のままだった。

この方の場合、外科的な処置も投薬も困難な条件があったので、プレーンな状態のままで見続ける事の出来た貴重なケースだった。

大概のケースでは、抗がん剤の後始末に追われて、癌どころではない。もう洗面器に吐きながら施術を受ける様な状態である。じゃあ、抗がん剤が良くないのか?いや、そんな主張もしていない。

前提として、病院、拝み屋さん、当院という順番でお越しになるケースが多い。その頃には癌も進行しているので、ステージ4の方を拝見する事ばかりだった。亡くなられる前日まで見た事もあるけれど、その時点では落ち着いて見る事もなかなか難しくなっている。

しかし、例えば、自分が癌になったとしたら、どうするだろうか?初期の癌だったとしたら?自分についてなら、死ぬ覚悟を決めればやれるだろう。やっちゃうかもしれない。しかし、他人にそれをお薦め出来るかというと、それはちょっと出来ませんね。

そういえば、医学的な処置を厭う女性がいらした事があって、その時が初対面だった。二回目に来た時にご主人が一緒にいらしたのだが、雰囲気が攻撃的だ。話を伺うと、どうやら手術を拒否する様に僕が入れ知恵をしているんじゃないかと邪推している様であった。それで、奥様とは前回が初対面なのでそんな訳はないでしょう、家庭の問題を私のところに持ち込まないでくださいと、お断りしてしまった事がある。現実逃避の対象にされても困る。

人の命が誰のものなのかというと、意外と本人だけのものではない、という話かもしれない。

自律神経

ほとんどの健康法では副交感神経を優位にする事を説く。要は、リラックスの推奨だ。生活をしていると、交感神経はほっておいても優位になりやすいので、それが説かれる訳だ。

自分もずっとそうなる様に工夫して来たのだが、近頃、やり過ぎている気がする。横になって5秒で寝るけれど、寝覚めが悪いのと夜更かしが出来なくなっていた。確かにリラックスはしているのだが、いつも怠くてテンションが上がらない。低め安定の感はあるけれど、どうなんだろうか。バリバリ働くサラリーマンはリラックスなんかしていない様にも見える。

それで、交感神経を優位にする為の施術を自分の体に行った。すぐに寝覚めが改善したのは良かった。身体的には、体重が減っても消えなかった顎の肉が締まったのがおもしろかった。減ったというよりも、締まったという感じ。副産物で瞳孔が開いて、目付きは悪くなってしまった。

しかし、ご時世を考慮すると、交感神経を刺激するのは不適切かもしれない。交感神経が優位になると、免疫は殺菌に対して有利に働くが、副交感神経が優位になるとウィルスに対して有利に働く様になるからだ。ここまで考えて、自律神経はオートマチックに切り替わるのだから、それを過剰にコントロールしようとするのも不純かもしれないなんて事も連想した。副交感神経についても、そうかもしれない。それよりは、自律神経がスムーズに切替る様な体づくりを心掛けようか。

オリンピック

高ストレス環境下における民族的な反応が、戦前とあんまり変わらんなあ、という感想がある。

欲しがりません勝つまではと自粛に何か違いがあるのか?兵隊さんありがとうの代わりに、医療従事者の皆さんありがとう。いや、実際に医療従事者の方々には頭が下がるのだが。それでも、マスクの方が、国民服着るよかマシだし、自粛警察はいても憲兵はいない。社会は進歩している。

オリンピックの前日になっても、まだゴタゴタしているのだが、参謀本部もいよいよ焼きが回ったか。しかし、ポツダム宣言よろしく、オリンピックは中止になるだろうと予想していたので、意外だった。

まあ、コロナのせいにしていられるうちはまだ救いがあって、収束後はいよいよシビアだろう。長い下り坂の中で、世の中は千々に乱れる事でしょう。あちらが上がって、こちらは下がるので、東南アジアくらいの経済水準になるかもしれないけれど、この数十年が特殊なだけで、本来の水準に戻るだけという意見もある。だから、そんなに悲観したもんでもないかもしれない。せいぜい、市場規模が小さくなるので軽視されて、iPhoneの発売日がアメリカの半年遅れになったり、地方都市の道路が悪くなっても、そのまま修繕されないというくらいのものかもしれない。年金は諦めるにしても、健康保険は維持出来ると良いのだが。

社会派ぶってくだを巻くのみなのだが、15年くらい経って読み返してみたら、味わい深いかもしれない。それまで何とか生き残りたいものである。

見積もり

梅雨になって、湿疹が出ていた。痒くてしょうがない。胃腸の疲れが原因の湿疹なので、自分で調整して、それは落ち着いていた。

昨夜、つけ麺のやすべえに行きたくなった。この店の辛味つけ麺の甘辛い味が好きだ。暖かい汁に冷やして締まった麺がよく馴染む。よせば良いのに、割りスープを頼んで汁まで飲んだら、深夜、久しぶりに湿疹が出て参った。これは自分の胃腸が悪い。梅雨が明けたら、また行こう。

施術をしていて、症状の改善に必要であれば、揚げ物を食べないでくださいとか、酒を止めてくださいとか、生活上の注意をご案内する場合がある。主に食生活についてのものだ。

進め方としては、その注意を1週間くらいは徹底してみて欲しい。効果が分からなければ、モチベーションにならないからだ。その後で、食生活を少し戻して、自分の体のキャパを調べると良い。それ以上は症状が再発するというラインが見つかるはずだ。

昨夜の自分は見積もりを誤ったのだが、そのツケを払うのも自分なのだ。つけ麺は美味かったので、後悔はない。

身体文化3

整体の学習も、やはり空の文化だろうか。

色んな技術を稽古するが、最初はどうにも儀式的に見えて、意味がよく分からない。格好つけて人の掌を押さえて、それに何の意味があるのか分からない。

それでも、分からないなりに稽古を続けるのだが、要求された体の使い方を続けるうちに、自分の手の感覚が変わった事に気がつく。触れて、どこへ響くのかが分かる様になるのだ。頭に触れたのに足へ響いたり、背中に触れたら肝へ響いたり、体の内的な連動が把握出来る様になる。

ヨガやボディワークをやり込んだ人は、この感覚が敏感で、施術を受けながら、あ、足に響いていますといった類の感想を漏らす人も多い。施術者は、他人のそれを自分の感覚として捉える様になる。それがないと、症状の原因が分からないので、施術など出来ない。

無意味に思えた型稽古も、こうした感覚というか知覚を得る為の手段なのだが、一旦、その知覚を得た後では用が済んだ感もある。求め続けて、手に入った頃には要らなくなるという転倒があって、それもおもしろい。

使い続けていると知覚は敏感になるので、そのうちに触らなくとも、見たら分かる様になるのだが、触る様に見る様になったら、整体はいよいよ自由でおもしろいものになる。やはり空の器が満たされる如しだ。器には、意味がない。

身体文化2

通っている武術の道場は変わっていて、最初は空手道場だったが、ある日、木刀を用意する様に言われて、何時の間にか、剣術が中心の道場になった。

先生にとっては空手も剣術も、同じ事を指導されている意識なのだろうが、生徒にとっては別の事を習っている様なもので、自分は戸惑ったし、稽古仲間もそうだったのではないだろうか。空手の感覚で木刀を振ると叩いてしまうので、斬る動きがなかなか身につかなかった。

それでも何年か経ってみると、不思議と同じものに思えて来るので不思議だ。それでも違いは感じていて、技法というよりは記録媒体としてのフォーマットの違いを感じる。中国の影響が強い空手の型にはプログラム的というか、漢文を読み解いていく様な知的な楽しみがある一方、神道流の型には器の中を満たしていく様な感覚を覚える。これは弓道をやっていた時にも感じたものだ。

空の文化というか。例えば、日本家屋も、一つの部屋で布団を畳んだり、ちゃぶ台を出したりする事で用途を変えていくが、容れ物自体よりも中身に本質がある。日本の身体文化の学習様式というと、大風呂敷なのだが、そんな事を考えた。

そういえば、先輩方がやって見せる手に木刀を持たないでやる型は、まるで手に何かを持っている様に見えるし、体はその動きに反応して避けてしまう。あれなんか本当に空なので、再現がまだ出来ない。

身体文化

日本の身体芸能は型文化だと言われているが、空手にはやはり中国の影響が強いのだろうな。

空手の型をやると、漢文のエッセンスを感じる。動作の一つ一つは人文字なので、その連なりで文章になる。それぞれに意味があるので、読み解く必要がある。

この半年くらいセイサンの型に凝っていた。突きを速くする目的の型だと捉えていたのだが、誤読だった。

コツを掴むと、力が球状に広がる様になるので、むしろ、間合を広くする型なのではあるまいか。相手の制空圏をもっと上手く取れそうな気がするので、今度、稽古に出掛けたら試してみよう。

身体文化にはその背景があるので、その民族の美学や思想が入り込む。それが興味深いという話だった。

公共性

イスラーム学者の中田孝氏の記事を読んで、久しぶりに声を出して笑った。起承転結の流れが酷過ぎる。

記事の内容とは関係なしに、彼の活動のセンスはなんとなく分かる。例えば、金本位制に戻せなどと主張するのだが、現代に抵抗するなら、近代や前近代のロジックは食い合わせが悪くて、いっそのこと中世くらいの価値観を持って来た方がまだ抵抗の余地がある。土台が違い過ぎると議論にはならないし、議論になると負ける。大真面目にやって、それがギャグにしか見えないので、シュール極まる存在感だ。

自分の仕事に引きつけるなら、それはゾーンニングの問題であって、グローバリズムとインターネットで軒並み更地にされそうな勢いの中、ローカリズムを担保するにはそれくらいしか方法がない。

最近、似た様なラインで、佐藤優氏が同志社大学で行った講演の動画を見ていたら、これまたおもしろかった。講演の後、教授陣とのトークセッションの席で、教授だか助教授だかの一人が、科学者の倫理をテーマにした。

具体例として、原子爆弾の製造者責任を挙げて意見を求めたら、佐藤氏、科学者の個人的良心で研究が止まるなどと考えるのは自惚であって、開発した上でその是非を公共圏で議論しろと切って捨てるのだが、その言い様では教授の面子がないので、これは敵を作るだろうなあと思わせるものであった。一連の事件の顛末にも納得した。

肝臓は肋骨の中にある。施術者は肋骨に指を入れる様にして、肝臓下部の固さを見る事が出来る。

薬を飲んだり、打ったりすると、肝臓には張りが出る。薬品は肝臓で分解されるので、その負担が固さにも表れる訳だ。固さには、ディテールもある。例えば、ステロイドとピルでは、肝臓の固さに独特の違いが出る。傾向として、ステロイドは乾いた固い感触になるし、ピルだとゴムの様な感触がする。

強い薬の場合、情報の取り方として、肝臓だけではなくて、膀胱の状態を一緒に見ておく必要がある。肝臓で分解されてから、小水で排泄が行われるので、膀胱にも相応の負担が掛かるのだ。例えば、抗がん剤を打った後の身体の状態を見ると、薬品の種類と強度によって、肝臓と膀胱の固さが異なる事が分かる。

弱い薬だと、肝臓での分解と膀胱での排泄のプロセスが速やかなのか、翌日くらいには肝臓と膀胱が固くなる。ところが、強い薬だと、肝臓での分解に時間を要するのか、膀胱が固くなるのに一週間くらいの時差が出る。分解、排泄のプロセスにそれだけの時間が掛かるのだろう。

近頃は、コロナのワクチンを二回打った人達をちらほらと見る様になって来た。やはり肝臓と膀胱の固さを確かめているのだが、割と同時に固くなるので、ああ、このくらいの負担かと見当をつけている。

梅雨の湿疹

梅雨入りしてから、湿疹の出る方が多い。食後に痒くなるとのご報告も受けるのだが、この時期の湿疹の原因は胃腸の疲れなのだ。

梅雨には胃腸炎も増えるけれど、あまり食べない方が良いくらいだ。食中毒も注意喚起される時期だ。食べ物も確かに傷みやすいだろうが、胃腸が弱っていると余計にそうなりやすい。

自覚症状のないケースも多い。胃下垂でもなければ、鳩尾の下辺りに胃があるので、仰向けになって押さえてみたら自分の状態が分かるかもしれない。胃が疲れていると、痛みがある。胃は若干斜めになっているで、それに注意しつつ、胸焼けする人は胃の上部、胃痛のする人は下部を押さえると痛む。

大腿部前面に、胃が悪いとこれまた痛むところがあるので、そこを空手チョップでトントン叩くと、不思議と胃の痛みは消える事でしょう。上手く出来たら、湿疹もマシになるかもしれない。