気功

最近、気功の先生だと人に紹介される事が多い。ご紹介でお越しになる方がほとんどなので、通りが良ければ何でも良いな。イメージの広がる言葉があるのは助かる。

気功といえば、しばらく前に津村喬さんの訃報があった。十代の頃に彼の気功の本をよく読んだ。カタログ的に気功法を紹介している本があったので、真似事をしてみたものだ。そうした意味ではお世話になった。

そういえば、練功を続けると手から香りを感じるという香功には今でも軽い好奇心がある。料理研究家、左翼活動家としての著作は未だ読んだ事はなく、これから読む機会もないだろう。

当時、本屋の健康法の棚で目立っていたのは、津村さんと帯津良一さんだった。なぜか帯津さんの本を読んでもあまり響かなかったな。いや、対象年齢が違い過ぎるでしょうというのは前提なのだが、なんとなく津村さんの方が純粋に感じたのだ。若いと強いイデオロギーに惹かれやすいからだろうか。

今の視点から言語化してみると、帯津さんは何でも入る袋の様な人で、価値判断が意外とないんじゃないのかという気がする。そして、本人のお人柄は存じ上げないので、そうだと決めつけての話だが、そういうタイプの人には敵わないなあという思いもある。

新装備

施術中に人の耳の後ろを見ると、肌荒れしている人も多い。マスクのせいだ。

施術中、自分はフェイスシールドを使っている。マスクだと蒸れて余計に咳込むのでナンセンスなのだ。フェイスシールドは頭にゴムで留めるタイプの物を使っていたのだが、一昨日からメガネタイプに替えた。頭が締め付けられないので、これは楽だ。プラスチック面の角度を調整出来るのも素晴らしい。だから、そのうちに自分の耳の後ろも荒れてくる事でしょう。

さて、マスクをするしないの議論もあるらしいのだが、 確かに効果は疑問だ。 しかし、ドレスコードなのだから、とりあえずしておけば良いのではないだろうか。お店によっては入れてくれない。後は、お守り的な要素がある様な気がしないでもない。マスクをつけていれば出歩いても大丈夫だという共同幻想というか、塞いでいるのは口ではなくて目だよなという話。いや、マスクを軽視している訳ではない。

マスクについて議論が起こるのも、ノンビリ、ピンボケた話ではある。コロナについては、天然痘よりはマシというのが正直な感想。ワクチン開発の話が報道される様になって来たけれど、これが天然痘だったら副作用などは度外視して 、ワクチンが手に入るものならさっさと打って、引きこもっているしかなかった。天然痘ウィルスは都市伝説によると、フランスとロシアの研究所に現在でも保管されているそうな。

ウィルスといえば、生前のホーキング博士が、宇宙空間から物体を軽々しく持ち込むなと警鐘を鳴らしていた。未知のウィルスを持ち込んだらどうすんだという趣旨なのだが、生きていたらコロナに何とコメントしただろうか。晩年はしょっちゅう人類社会に警鐘を鳴らしていて、大喜利みたいになっていた。メディア側の需要なのだろうが、あれも謎だった。

秋の夜長

先日、久しぶりに空手の稽古に出掛けて、人を蹴ったら軽くて、その威力のなさにガッカリした。

それで練習していた。動きを確認する為に、立姿で膝を上げるのを手で抑えたら上がらない。足の力の抜き方が不味いというよりも、分からない。

何年か前には、この種の練習をよくやった。突き手の拳を人に抑えてもらうと、普通は手を動かせなくなる。力の抜き方の緩急を覚える良い練習なのだ。

1時間ほど練習したら、膝は上がる様になったのだが、膝から下の動きを手で抑えるとまだ動けない。これだと威力のある膝蹴りは打てても、前蹴りは打てない。

更に30分ほどジタバタしていたら、膝を上げる際に骨盤を捻る癖がある事に気がついた。特に左足を使う時にその癖が強い。捻ると力の方向が意図とはズレるので、威力は出ない。

癖は分かったので、それを取る練習をしばらく続けたい。今夜は本を読んでのんびりするつもりだったのに、時間はいくらあっても足りない。

ハウリング

カラオケで良い気分。音痴だが、下腹でハウリングさせるので声量はある。つまり、何を歌っても演歌っぽくなる。

歌声は喉で発声していてはダメで、体とのハウリングが重要になる。

ハウリングが綺麗だなと感じるのは沢田研二。胃の辺りでハウリングさせている。ストレスで胃をやられているのかもしれないが。

動画を見ると、烏賊みたいでリズム感はないけれど、声量が素晴らしい。

脳力開発

仁松庵へお昼ご飯を食べに出掛けた。マグロのカマの塩焼き定食が目当てだったのだが、1800円から2000円に値上げされていた。確か、メニューに載った当初は1500円であった。品質からは決して高額ではない。しかし、日和って天ぷら定食を頼んだのであった。

ところで、カマといえば、魚の頭部に含有されるドコサヘキサエン酸(DHA)を摂取すると頭が良くなるという触れ込みで、 90年代前半にそのサプリが流行った。自分も祖母に飲まされた。効果?ある訳がない。

さて、現代でも、脳力開発の為の様々な商品が売られているが、まあ、頭の良さの定義にもよるのだろうが、とりあえず眉に唾をつけた方が良い。成長期が過ぎてから身長を伸ばそうとする様なものではないのか。骨延長手術などもあるので、案外にテクノロジーを馬鹿にも出来ないのだが。

それはさておいて、脳力開発の効果という観点からすると、一つ思いつくのは鼻の通りを改善する事だ。鼻詰まりだと頭がボウッとして働かない。改善するのは意外と簡単だ。お腹の張りを取り除くと良い。鼻詰まりだけど、調整するのはお腹だ。

これは何を言っているのかというと、例えば、食事の前後で何かの匂いを嗅いでみると分かる。食後の方が嗅覚は鈍いはずだ。嗅覚と腹部の緊張弛緩には因果関係がある。要するに、食べ過ぎてお腹が張ると、鼻は詰まる。中間のロジックを加えると、お腹が張ると体幹が歪むので、鼻腔が圧迫されるというだけの話だ。そして、鼻詰まりの原因として、本当にこれが多い。ちょっと減食するのがお薦めです。

知能には遺伝の影響が決定的なので、頭が良くなるという効果には懐疑的だが、少なくとも、鼻の通りが良くなると頭が働く様にはなる。だから、学校でぼんやりしやすいお子さんが心配だという親御さんは、まずお子さんの鼻詰まりの有無を調べよう。

怪我

女の子が施術を受けに来ていた。その後にオジサン2人組が待合室で順番待ちをしていたのだが、女の子の帰り際にバイバーイと手を振っているので、営業妨害はヤメテ、施術を痛くしますよと毒づいたとか、毒づかなかったとか。

しかし、痛くするまでもなく、男性の一人は痛風なのでうつ伏せにもなれないほど、足の親指が痛い。風が吹いても痛いと呼ばれる痛風だが、本式の症状は柔らかい布団に足先が接触するのも耐え難いくらいに痛む。

ところで、尿酸値に出ていなくとも、痛風様の症状は多い。酒飲みに多い。尿酸値に出ていないケースでは、足のスネや甲が痛むケースをよく見る。胸椎789番が独特に詰まるので見分けやすい。

実は、自分も何年か前にやっている。当時、半分に割ったメロンの種を取り除いたところにウィスキーを注いで食べるのが好きだった。夏だったので暑気払いに一週間ほど食べ続けたら、ある日、足の脛に激痛が走った。最初は空手の稽古で足を蹴られたせいだと人のせいにしていたのだが、自分の体を改めて調べてみると肝臓が張っている。それで、肝臓を押さえて、酒を抜いたら痛みはすぐに取れた。

我を怪しむと書いて、怪我と読ませる訳である。

リラックス

クライアントの方に、重心を落とすと良いですよという話をしていたら、重心を落とすと何か良い事があるんですか?と訊き返されて、あ、そこからかという盲点だった。確かに、重心について考える人は少数派かもしれない。

重心を落とす事のメリットを理解する為には、逆に、重心が上がっている状態を想定すると理解がしやすいかもしれない。どういった時に重心が上がるのかというと、代表的なのは、精神的に緊張した時だ。肩が上がって首は強張り、重心は上がる。肩に力が入ると横隔膜が固くなり、呼吸は浅くなる。知的にも運動的にもパフォーマンスを発揮し難い状態である。

つまり、重心を落とす=リラックスである。それを習慣化すると、パフォーマンスを発揮しやすい体が手に入る。しかし、これにはかなりの訓練が要る。人の体は緊張しやすいのだ。すぐに力む。リラックスと口にするのは簡単なのだが、そもそも自分が緊張している事にも気がついていない人がほとんどだ。

整体の施術では体の強張りを取り除き、自然とリラックス出来る様な身体状態へ誘導する。理想的には、その状態をクライアント自身の手で再現出来る様にしてあげたい。現状、数名を除いては、自分はそのレベルの仕事を達成出来ていないので、今後の仕事上の課題としたい。そもそも、相手が興味を持たないというのが最大の障害なので、動機付けの為のホームページから用意する必要がある。

名人芸

あれは震災の翌年だっただろうか。仁松庵で、スリランカで鉱山経営をしているという中年男性との会食の機会があった。現地の軍人に袖の下を渡して、遺跡でダイナマイトを使用したインディ・ジョーンズごっこを楽しんでいるという話であった。眩暈がしそうなくらい胡散な話だが、好物である。

この御仁、気功をやっているというのだが、癌の人を2、3人は治したかなあと言うので、素人さんは好きな事を言えて良いなあなんて事も思った。仕事にしていると、含羞というものがある。癌が小さくなった人もいるけれど、そんな事は気持ち良く話せない。しかし、老後に引退する事があったら、マルコ・ポーロをやるつもりだ。確か、ヨーロッパに戻ってついた彼の仇名はミリオーネと書いて百万の嘘。

癌はステージ4になってから訪ねていらっしゃる方が多い。実話だが、病院>拝み屋さん>ウチの順番である。だから、最期の数ヶ月だけを見た事が何度もある。もう洗面器に吐きながら、施術を受ける様な状態である。正直に言うと、施術は抗がん剤による体調不良の後始末で手一杯になる。

数は見たので、それなりの所見はある。肝臓が水気のない繊維状の触感になっているのが特徴だ。これは抗がん剤の影響なのだろう考えていたのだが、投与する前の人も同様なので、そういうものだと見做している。後は、足の指骨間に独特の詰まりが出ている。脊椎の転移にも特徴が出る。こういうのを知ると、時々は自分のを確認しないと気が済まなくなる。

怪しいなと感じたら、検診はしていますか?と水を向ける。勘の良い人はそれで受診するのだが、前立腺に見つかった事があった。どうして分かった?と尋ねられたけれど、それは体の特徴があるからだ。そういえば、病院のレセプトをしている人と話していたら、人相を見たら何の病気か見当がつくそうである。僕は分からない。その方の場合、毎日、膨大な人数を見て顔付きと病名を確認しているから身に付く、ある種の名人芸であろう。

自分探し

酒を飲みながら人と話していたのだが、自分探しからは早く卒業した方が良い。

自分探し中は、しばしば人や対象に依存しやすいのだが、自分一人で充足も出来ない人間が他人と一緒にいても相手を退屈させるだけではないのか。人という字は人 (|) と人 (|) が支え合う様子を示した象形文字だと言われているのだが、白川静が勝手に言っているだけかもしれないが、依存だと足の引っ張りになる。

自省と共にそんな事を考えるのだ。若い頃は整体との関係妄想を抱いていた様に苦く思い出される。例えば、高尚なボランティアをしたからといって、自分の人格まで高尚になるはずもなければ、難しい本を読んだからいって頭が良くなる訳もなし。借り物の言葉には力が、ない。

ただ、そういった思い込み、勘違いでも介在しなければ、学習は動機付けのレベルで上手くいかないかもしれないが。

だから、整体が凄いのは自明なのだが、じゃあ、自分はどうだ?というのを問い続けた20代だった。これは、もうちょっと自分に興味とプライドを持って、そして逆に、客観的にもなった方が良いぞという話だった。自分に言っている。

知る者は言わず、言う物は知らず

15年以上前に、整体の名人の勉強会に出ていたら、練習で組んでいたプロの男性が、ワタシャあの人の言う事がサッパリ分からんのです、とポツリ。

確かにそうで、毎回、独自用語を抽象的に使うものだから、自分にも何を言っているのか分からなかった。長年の参加者は慣れているのか、質問もしない。愛が光と化合してというほどではないけれど、植芝盛平なのかという言語感覚だった。

凄腕なのは間違いないのだが、やっている事を自分でも分かっていないのか、それとも職人だから隠しているのかな、とも訝しんだ。

ところが、人伝にその名人のエピソードとして、小水が出ないまま寝たきりでいる人に対して、金タライを用意してヤカンから水を垂らす様子を見せていたという話を聞いた。それで小水が出たというので、ウィットがあるなあと驚いて聞いたものである。

当時、名人のところに通っていた人を自分が施術する機会があった。その際、その方から、数回、名人のところに通って、操法が合わなかったねと言われたという話を聞いて、また感じ入った。なかなかそんな事は言えないのだ。

知る者は言わず、言う物は知らずというアフォリズムは、確かにそうなのかもしれない。