名曲喫茶ライオンに行って来た。1926年創業のクラシックを流す喫茶店だ。教会みたいな造りで、長椅子が一方向に並んでいる。中央にはキリスト像の代わりにオーディオが置いてある。オーディオマニアの聖地で、店内での会話は禁止。黙ってクラシックを聴くのがここでの作法だ。この日はチャイコフスキーだった。
ただ、自分は耳が鈍いので豚に真珠。有り難みはそんなになかった。音楽に退屈しやすいのもそのせいだろう。受け取れる情報が少ないのだ。勿体なく感じる。英語のシャドーイングをするうちに、音痴には多少の改善が見られたので今後に期待したい。
目もそうで精度が悪い。先日、手を開閉する動きをカメラマンの方に見せて、何動作に見えるのかをお尋ねする事があった。先方からは4動作に見えるとの回答。自分には1動作に見えるのでそれを伝えたら、見る事を鍛えたのでとのお返事があった。
そういえば、篠山紀信氏は撮影が一発撮りだと聞いた事があったけれど、撮ってもらった方に話を伺うと実際そうらしい。本部朝基にも箸で蝿を掴んだ言い伝えがあるけれど、動きを静止画みたいに捉えられるのだろうか。
高い知能指数に憧れる人は多いのだが、むしろ、自分は感覚器官の精度の高さに憧れる。さぞかし現実が味わい深かろうと想像するのだ。例えば、自分は触覚だけ極端に敏感だけど、人と話してもほとんど通じない。理解への期待もない。
逆説的に、自分は満足に見聞きしていないのだろうなと。この考えを進めると古典的なニューエイジ思想に行きそうだが、五感もろくに使いこなせないのに、第六感とはこれ如何に?というところが新しいかもしれない。知らないが。
この場合、観測対象を分節化出来るのが精度の定義かな。絶対音感とか。インド料理なども、習った人に話を伺うとおもしろくてね。苦味と渋味を明確に区別するそうです。確かに、美味しいチャパティには渋味を感じる。これも高度な分節化というもので。
