『シン・エヴァンゲリオン劇場版』

ロボットアニメで、主人公の少年がロボットに乗るのは、玩具メーカーの思惑は置いて、大人の体を獲得するという拡張身体の一種として捉える事が可能かもしれない。

その点、エヴァンゲリオンのパイロットはエントリープラグ内の羊水に浮かんでいるという体で、最初から胎内回帰願望に開き直って、またそれがウケた作品だ。

スタートがそうだったものだから、主人公の成長物語としては失敗が約束されているというか、その失敗芸が旧劇場版だった。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見て来たのだが、成長物語として提示される大人像には、座りの悪いものを感じっぱなしだった。赤ひげ先生や農業体験の描写は、割と見ていて恥ずかしい。ただ、それは初期コンセプトの優秀さゆえの軌道修正の困難として評価されるかもしれない。

それでも、シンジくんの内面的成長は丁寧に描かれていた。最終的に、自分の機嫌を自分で取れる様になっていて偉い。現実社会でも、それが出来ない悪いクソ真面目が多いじゃないか。大人になったシンジくんは、ちゃんと自分のお金でキャバクラにでも出掛けて、ストレスを解消する事が出来るに違いない。

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